山門・本堂をはじめとした境内の堂宇と石塔
山門
平成10年11月に改築された山門 間口一間半
改築前の山門 通称薬医門
本堂
平成10年10月に落慶した本堂 旧本堂は四間四方の大きさであったが現本堂は六間四方の大きさとなる
地蔵堂
平成10年8月に改築された地蔵堂 江戸時代より地域で信仰されてきた地蔵尊が安置されています。
納骨堂
昭和60年1月に弘法大師1150年御遠忌記念事業として落慶した一間四方の大きさの納骨堂
檀信徒の皆さまのお骨が安置されています。
五重石塔(鎌倉〜室町時代)
鎌倉時代と室町時代の石が使われているとされる五重石塔
半鐘
本堂に回廊に掛けられている半鐘には「享保廾一丙辰三月廾一日 山城綴喜郡井手郷西福寺 法主當住 阿闍梨惠海謹言」とあり江戸時代に活濟上人(惠海房)によって新たに造られたものです。
また、鋳物師は「釜屋又五郎作 江州栗本郡野庄辻村冶エ太田西兵衛重次」とあります。
西福寺中興活濟上人の墓碑
活濟上人は宝永5年(1708年)6月晦日に和州添下郡鹿畑村に生まれ、享保7年(1722年)11月3日、西福寺に入寺します。その後諸師より数々の伝授を受け、また御流神道を極め神祇中興の祖と仰がれました。また、西福寺を現在の地に移転し堂宇を整え潅頂を執行できるまでに至りました。上人は安永6年(1777年)8月6日に秘印を結び70歳で遷化しました。
松室幾圓信尼墓(月照上人の母)
幕末の尊王攘夷の僧であり、西郷隆盛と入水自殺をした清水寺の月照上人は、母親を弟子である西福寺住職宥向に預けました。
上人の母は当寺に住み晩年は上人の冥福を祈りながら文久2年2月18日に西福寺にて亡くなりました。
改築前の本堂の地下には、幕府から逃れるための脱出用の通路があったと伝わっています。