本尊 金剛界大日如来
平成時代
聖観世音菩薩 (平安時代)
井手町指定文化財 平安時代前期(10世紀) 一木造
井手町最古の仏像。頭上に高く太く髻を結い上げ、その両側に髪束をぐるぐると渦巻き状に表す。衣には9世紀に盛行した翻波式衣文(太い波と細い波を交互に刻む表現)もみられる。
不動明王 (平安時代)
京都府暫定登録文化財 平安時代中期(11世紀中頃〜後半) 一木造
伝智証大師(円珍)作
肩の張った雄偉な体型や、厚みがある両脚部など一木彫像らしい重厚な作風を示す。正面髪際及び襟足に巻髪を並べる他に例を見ない表現です。
台座裏書には「權大僧都法印實濟所持傳來、智證大師御作不動明王、明和二乙酉五月火焔座奉再興、權大僧都法印活濟上人」とあり、西福寺住職實濟によって伝来し、活濟上人によって火焔座が再興されたことがわかります。
阿弥陀如来 (江戸時代)
江戸時代 西福寺旧本尊
大腿部の縦に伸びる衣の表現など平安時代にみられる表現を残しつつ、螺髪の表現など江戸時代の特徴を表す。当寺が江戸時代元禄期に中興された際の本尊であり、領内の東に薬師如来を本尊とする東福寺、西に阿弥陀如来を本尊とする西福寺が建立されました。
台座裏書には「為後世菩提 阿闍梨實祐 生年五十八/慈覚大師御作 阿弥陀如来 元禄九丙子六月吉日 山城綴喜郡井手里玉水西福寺御本尊再興 弟子實濟/當寺中興傳燈大阿闍梨權大僧都法印活濟上人和尚建立寛延二己巳歳入佛五月十五日活濟四十二歳也假名惠海」とあり、實祐、實濟、活濟の三代にわたっての奥書が記されています。實祐・實濟によって再興された本尊阿弥陀如来が、寛延2年に入仏されたことがわかります。
薬師如来 (南北朝〜室町時代)
南北朝〜室町時代(14〜15世紀) 院派仏師作
両手に法界定印を結び薬壺を持つ。箱を組んだような趣の体型や左肩を覆う衣端にたわみを表し、また着衣の一部に盛上文様が残存するなど院派の伝統を忠実に継承し、おおらかでまとまりのある堅実な作風を示しています。
江戸時代、享保12年(1727)に刊行された『薬師如来瑞応伝』の「城州玉水村東福寺ノ藥師ニ祈テ盲目開ル事」という逸話によると、玉水村の半三郎という人物が正徳年中(1711-1716)に目の病になりました。薬も効かず盲目となった半三郎は東福寺の薬師如来に毎日祈り続けた結果、少しづつ目が見えるようになり、遂にその年の冬には目が治ったとの霊験が記されています。
十一面観世音菩薩 (室町時代)
室町時代(14世紀末〜15世紀初頭)
南山城三十三所観音霊場 第27番本尊
肉身部を泥地漆箔とし、着衣は当初より素地であったと考えられる。
御詠歌「いしかきに のきばのつゆの とくとくと おもひのたまの かずぞかさぬる」
地蔵菩薩 (平安時代)
平安時代後期(12世紀後半) 一木造
穏やかな顔立ちに抑揚の少ない体?、衣の皺を殆ど省略するなど平安時代後半の特徴を表しています。
阿弥陀如来 (江戸時代)
江戸時代初期
十一面観世音菩薩 (江戸時代)
江戸時代後期
城南西国三十三所観音霊場 第28番本尊